2007年10月27日 (土)

海の話、続き

前回の予告どおり、海の話の続きです。ただ、4日も遅れてしまいました。スミマセン。

・・・・・・それから確か1ヶ月くらい経った月曜日のことだったと思う。いつものように仕事を終え、教室を出て、帰ろうとして自分のスクーターを見て、ぎょっとした。

スクーターの前カゴいっぱいに真っ赤な薔薇の花束。控えめに見ても50本は下らないだろう。こんなに大きな薔薇の花束を見たのは初めてだった。

何、これは?タチの悪いいたずら?もしかしたら花の中に爆弾が仕掛けられているんじゃないかしら・・・・・・わたしはスクーターに近づくこともできず、その場に立ち尽くしてしまった。

と、すぐ先の駐車場から一人の男性がこちらに歩いてきた。見ると、見覚えのあるワーゲンが駐車場に停まっている。

彼は、初めて会ったときと同じようにニコニコしながら近づいてきた。わたしはようやく薔薇の花束の意味がわかった。爆弾が仕掛けられていないとわかって少しホッとしながらも、少々複雑な気持ちになった。どうしてここがわかったんだろう?ああ、そうか、「○○や」に勤めているなんて言ったから・・・あ、でもそれだけでは、「○○や」の音楽教室はたくさんあるのだもの、こことはわからないはず。・・・等々と彼がそばまで来る数秒の間にあれこれ考えた。

このあと、彼のワーゲンで夜の海を見に行ったのだが、助手席に座ったわたしはさっそくきいてみた。「どうしてここだとわかったのですか?」彼は快く答えてくれたが、それによると、○○やに電話してわたしのことを聞き出したらしい。○○やの店員もよく教えてくれたものだと、わたしは少し唖然とした。彼はその前の週にも来たらしいが、正確な時間を聞いていなかったため時間が合わず、会えなかったそうだ。それで、もう一度電話して時間を確認して、出直してきたらしい。

1時間ほどして、もう夜も遅かったので、スクーターを停めてある教室の前まで送ってもらい、そこで別れた。

帰って下宿先の人に、いつもより1時間帰宅が遅くなった理由を話して花束を見せた。以来、その人は冷やかし半分に彼のことを「薔薇の君」と呼んだ。

彼とはその後も数回会ったが、結局、彼がわたしのことを結婚相手として望んでいることがわかったので、交際をお断りした。わたしはピアノの仕事をライフワークと考えていたので、彼には申し訳ないがライフスタイルが合わないと思ったからだ。

その後、彼とは連絡が途絶えてしまったが、それから何年も経った今でも時折彼のことを思い出す。幸せでいるのだろうかと。本当に短い間だったけれど、彼との触れ合いはわたしの中に爽やかな印象を残した。

静岡で家族を暮らす、海が好きで素朴でロマンティックな紳士だった。

木かげの家の小人たち

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2007年10月22日 (月)

海の話

海を見るのが好きだ。

以前、短い間だったが静岡県焼津市に住んでいて、スクーターで10分も走ればもう海岸で、暇さえあれば愛車を駆って海を見に行ったものだった(今は海から遠いところに住んでいるのでもう何年も海を見に行っていない。少しさびしい)。夕刻、街がオレンジ色に染まり始めるころ出かけて、夕日が沈んで辺りが暗くなるまで海を眺めて帰ることが多かった。海を見ることは、わたしにとって最も効果的なストレス解消法であり、それによってバランスをとっていたといえる。

5月のある昼下がり、その日も夕方の海を見に行った。長い長い防波堤の上を潮風に吹かれながらしばらく歩いたが、そのうちもっと海の近くへ行きたくなった。わたしは波打ち際へ下りていき、靴が濡れるのも構わず、寄せては返す波を追いかけてしばらく遊んだ。ふとさっきまで歩いてきた防波堤を振り返ると若い男の人が一人座っている。わたしと同じように海を見に来た人かな、とちらっと思ったが、別段気にも留めずわたしはまた波との戯れに興じた。

不意に声をかけられて振り向くと、その人がにこにこしながらそばに立っていた。かなりびっくりした。海を見ながら少し話した後、その人に誘われてお茶を飲みに行った。彼は近くに停めていた濃いブルーのワーゲンのところへわたしを案内し、海が見える洒落た喫茶店へ連れていってくれた。海辺でも喫茶店でも、わたしは電話番号はもちろん、年齢も、どこに住んでいるかも、名前すらフルネームは教えなかった。ただ話の流れで、ピアノ講師をしていることと雇われている会社名(それは県内に何軒もお店を持ち、音楽教室もたくさん開いている大きな会社だったが)だけは話した。最後に彼は、出会った場所からかなり離れたところに停めてあったわたしの水色のスクーターのところまで送ってくれた。

また会うこともないだろう、あるいはもしかしたらこの海岸でばったり会うこともあるかもしれないけど・・・と思っていた。

・・・・・・長くなったので、続きは明日また書きます。

木かげの家の小人たち

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2007年10月20日 (土)

秋の空は少し柔らかいトーンの透明なスカイブルー。

じっと見ていると空の向こう側に吸い込まれてしまいそうだ。

陽の光に輝く雲も

手を伸ばせば届きそうに思えるのに

なにか別世界のように感じる。

目はしっかりとこの世界を知覚しているのに

耳はさまざまな音を鮮明にとらえているのに

自分だけちがう世界からすべてを見ているような気がする。

すぐそばに在るのに、とても遠い。

すべては自分から遠い。

木かげの家の小人たち

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2007年10月19日 (金)

花にはきっと女神が宿っているにちがいない。

でなければ、こんなにもけがれなくうつくしいはずがない。

・・・と、コスモスを見て思いました。

木かげの家の小人たち

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神技といえば・・・

バッハの「マタイ受難曲」も凄いと思う。

この作品は演奏時間3時間を超す大作で68曲から成り、音楽を専門的に学んだ者から見ても(いやむしろ専門的に学んだからこそ)まさに神技と言うしかないような箇所がたくさんあるが、特にわたしにとって印象的だったのは、第一部の初めの方の「最後の晩餐」の場面である。

12人の弟子を前に「この中にわたしを裏切ろうとする者がいる」と告げるイエス。非常に悲しんで口々に「それはわたしですか?」と問いかける弟子たち。その緊張が頂点に達したとき、「それはわたしです」の世にも美しいコラールが混声4部合唱によって歌われる。

「それはわたしです。わたしこそ悔い改めなければならない。

手も足も地獄につながれて。

鞭打ちもくびきもあなたが忍ばれたすべてのものは

わたしの魂が受けるべきものでした。」

この絶妙のタイミング。この構成力。イエスを十字架にかけたのはユダという他人ではなく当時の群集でもなく、わたしたち一人一人の犯してきた罪、心に潜む闇なのだというキリスト教信仰の神髄ともいうべき思想を万人に納得させる、これほど効果的な方法をわたしは知らない。

誰もがこの部分を聴いてはっとするだろう。自分の心の内を省みるだろう。

バッハ自身は、おそらくこの演出の絶大な効果を全く計算しなかったわけではないだろうけれど、あくまでも霊感の赴くまま、自己の心の命ずるままに創作したに違いない。

しかし、おそらくこれこそが彼自身の、己の信仰に対する姿勢だったのだろうと思う。だからこそ彼の宗教音楽は比類ない説得力を持ち、特定の信仰を持たない者にさえも大きな感動を与えるのだろう。神がそのようなインスピレーションを彼に与えることを惜しまなかったのだろうと思う。

木かげの家の小人たち

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2007年10月18日 (木)

エオリアン・ハープ

秋になると思い出すのは、八木重吉先生の有名な「素朴な琴」だ。

 素朴な琴
   このあかるさのなかへ
   ひとつの素朴な琴をおけば
   秋の美しさに耐えかねて
   琴はしづかに鳴りいだすだらう

この詩に初めて出会ったのは中学生のときだったと思う。なんて美しい詩だろうと思った。

それから長い間、頭の片隅にこの詩はひっそりと息づいていて折に触れて思い出していたのだが、詩人の名を忘れてしまった。最近になって、詩人の名と詩の正確な記述を知りたいと思い、何気なくGoogleで検索したらあっという間に調べがついてしまった。便利な時代になったものである。

それにしても、何度読んでもこの詩は凄いと思う。たった4行で、しかも秋の美しさの描写は何一つないにかかわらず、読む者の想像力を無限にかきたてる。秋の美しさを表現し尽くして余りある。

まさに神技・・・こういうのをインスピレーションというのだろう。この奇蹟のような作品を母国語で味わうことのできる幸せに感謝したい。

木かげの家の小人たち

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2007年10月16日 (火)

金木犀

民家の庭先の大きな金木犀の木のそばに寄って空を見上げてみた。

秋の澄んだ空と木の葉の深い緑、オレンジ色の可憐な花のコントラストが美しい。

空がどこまでも遠く高く広がっているようで、ふと心もとなく不安になる。

気がつくと足元に一面オレンジ色の小さな花が散っている。金木犀の花は散ってもなお芳香を放つという話を聞いたことがあったので、いくつか部屋に持って帰りたいと思ったが、花たちがこのまま生まれ育った木のそばで大勢の仲間たちとともに朽ちていくことを望んでいるような気がしてやめた。

帰ろうとして手元の帽子に目を移すと、小さな小さなオレンジ色の花が一つ帽子の中に落ちている。金木犀の木がプレゼントしてくれたんだ、と思うと心温まるようだった。

大切に持って帰った。

木かげの家の小人たち

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2007年10月13日 (土)

子供好き

子供好きである。

小さい子も大きい子もきれいな子もちょっとぶさいく(ごめんなさい)な子もみんなかわいいと思う。

フンパーディンクのオペラ「ヘンゼルとグレーテル」の中で、夜の森の恐ろしい様子に怯える二人の前に眠りの精が登場し、「♪子供好きなんだ。とてもかわいい」と歌いながらぐっすり眠れる魔法の砂をふりかけてくれるシーンがあるが、子供を見ると、その眠りの精になったような気分になる。

ちなみに学生時代にオーケストラに入っていて、このオペラを上演するというので全曲弾いたことがあるが、前述のシーンに続く二人の夢の世界、「♪眠たくなると14人の天使が~」という歌のとおりに天使たちが降りてくる部分(かなり長い)は非常に美しいが難しかった。

余談だが、このとき初めてオケピットというものを経験した。あそこはステージより低いのでステージでドライアイスをたくとみんなオケピットに流れ込んできて、楽譜は見えなくなるし、寒いのだ。

夏ならともかく「ヘングレ」はクリスマスのシーズンに上演されることが多いので、寒いのはちょっとつらい。しかし、あとで聞いた話だが、こういう舞台ではドライアイスよりもスモークマシンを使うことの方が多いそうだ。これなら寒くない。

木かげの家の小人たち

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2007年10月 7日 (日)

お元気ですか?

街に金木犀の涼やかな香りがほのかに漂う頃となりました。

皆さん、いかがお過ごしですか?

木かげの家の小人たち

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2007年10月 6日 (土)

コスモス

秋晴れの空の下、川沿いの道を自転車で走った。

そこここにコスモスが今を盛りと咲いている。

背の高いコスモスが秋風に揺れている様は本当に優しげだ。

子供の頃から薄桃色のコスモスが好きだったが、最近は白いコスモスの方により心惹かれる。

白いコスモスの花は一点のけがれもない雪のような純白。清々しく潔い印象がある。あのようでありたいとふと思う。

コスモスといえば思い出すことがある。

高校時代、音楽の先生が放課後に音大進学希望の生徒を集めて聴音や新曲視唱のレッスンをしてくれていたが、わたしも芸大進学希望だったので1年生の時から参加した。生徒2~3人のこぢんまりしたレッスンだったが、あるとき花の話になり、その先生がわたしを見ながら「Tは花に例えればコスモス」と言ったのだ。

そんなことを言われたのは後にも先にもそのとき限り。いまだに「へー」という感じである。

木かげの家の小人たち

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